”晴耕雨読”ぶどう園

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2020年新型コロナウィルス対策による外出自粛下、過去資料断捨離中に出てきた私のサラリーマン時代の『米国研修報告書』(1986年)の一部『英語研修ホームステイ日誌(7/20~10/13)』をスキャンしたので、以下に載せます。
当時35才であった私は、ハードな英語研修と初めてのホームステイに戸惑いながらも、極めて有意義な日々を過ごしました。
自称「アメリカ大好き人間」の元になり、その後の海外生活計11年にも及ぶ元になった米国ホームステイ体験でした。

このホームステイ生活に関連する写真もアルバム等からスキャンして載せました。


   <目次>

 英語研修ホームステイ日誌

 業務研修

 赴任①

 赴任②








 NY(post card)

























 Moore家面々
 Barryの誕生日





















 Barry と私






















 アラモの砦


















 アラモ砦内の長篠モニュメント
 (アラモ砦と長篠城攻城戦が似ている)










































 Bell夫妻と娘&孫達


















 Bell牧場にて

 二人は私の息子、娘と同年代

















 日本食レストランへ招待




























 日本刀


















 トラクターで耕起



















 ハンティング

 写真がポッサム(opossum)












































 Stevenと私



















 初めての水上スキーでもガンガン滑る。



























 日本人留学生をホームパーティーに招待。






















 教授とビジネス訪問


















 キッコーマン工場見学
























 私の誕生日祝い
 マジックキャンドルでからかわれた。



 英語研修中はヒゲを生やしたりする。






































 研修生活&大食でガンガン太る。(:_;)























 メキシカン学友


















 Mayraとツーショット(*^_^*)























 英語tutorのJeannine
 彼女のボーイフレンドのコルベットを運転。




















 買物に付き合ってくれたSharon。


















 Steven からディアハンティングに誘われたが、ライセンスの関係で実現はしなかった。
 望遠鏡付のライフルで仕留める。
 赤味だけの鹿肉(venison)はよく煮込んで食べると結構美味しい。










































 今は無きトレードセンタービル屋上デッキから自由の女神。

















英語研修の後、引き続き業務研修ということでアメリカのミッドウェストやコーンベルトの飼料穀物事情を現地研修した。
事前に米国子会社の取引先とアポを取り、1人訪問して業容やシーズンの穀物事情を調査・研修する、というもので、
飛行機とレンタカー移動により40日間に及んだ。
「何でも見てやろう」との思いで、広大なアメリカのプレーリーを約4,000マイル(6,400km)車で走った。
当時は穀物の生産過剰に苦しむアメリカであったが、その底知れない圧倒的な農業生産力と流通スケールは、
実に印象的で驚異的ですらあった。

それから約2年後、ニューオリンズの子会社へ出向となり4年間勤務した。(with 家族)
小学生だった息子・娘も激変の環境によく順応し、家族で貴重なアメリカンライフを経験した。
私は帰任6年後、再びアメリカ勤務となり、今度は自由気ままな単身生活を満喫した。

以下アルバムから当時の写真をスキャンして載せます。
差し障りのない範囲で印象的なものを選んだが、肖像権を主張されませんように!(笑)



 農協や穀物会社等を訪問してその地区の状況を聞く。
 私の立場としてはバイヤーであるので、
 彼らは極めて親切で、何でも答えてくれる。
















 穀物流通の多くは、特に輸出向けは、
 ミシシッピー川本・支流のバージによるところが大きい。
 積載量1,500トン、人が小さく見える。

 河口のニューオリンズで本船に積み替えられ輸出される。














 ある穀物会社の重役と。

 あまりにも背が高いので聞くと、212cmだった。
 アメリカではmやcmは通用しないので、
 返答はフィート&インチであるので換算した。

 私の高校同級生のプロレスのジャンボ鶴田は196cmだった。

 その後私の2回目アメリカ勤務の時、
 M&Aにより彼とは同僚となった。






























 イリノイ州の州都スプリングフィールドは、
 第16代大統領リンカーンが弁護士時代住んでいた縁で彼の墓がある。

 今でも人々から大いに尊敬されている。



 ローカルのアメリカにも感動した(何でも感動する)私は、行く先々で写真葉書を買って、毎日と言っていいほど日本の家族の元へ送った。












 石棺



















 セントルイスのゲートウェイアーチ。
 ここから西部開拓の幌馬車隊が出発した。
 そのモニュメント。
 高さ192m




































 アーチ頂上の展望スペースまでトラムと呼ばれるエレベーターで行ける。



















 ヒューストン NASA


















 ロス ハリウッド
 マリリン・モンロー サイン&手形


















 米国研修訪問地





















 そして1989年2月ルイジアナ州ニューオリンズに赴任
 ことわっておきますが、以下の写真は全て仕事以外の写真です。
 かと言って観光ばかりしていた訳ではありません。笑


 ポンチャントレーン湖に架かる
 世界最長のコーズウェイブリッジ
 24マイル(39km)

 通勤他で1,600往復はした。














 ニューオリンズの世界三大カーニバルの一つ マルディグラ

 巨大な山車がビーズの首飾りを投げてくれる。
















 そのパレード


















 マスカレードに出席するような仮面の紳士?が馬で駆け抜ける。


















 マルディグラの最中、フレンチクォーターには入るのさえ難儀する。
 

















 偶々スリが現行犯で捕まった。

 全米でも人気の観光都市であるディープサウスの街ニューオリンズの人口当たり殺人事件は常に全米ワースト3位内だった。
















 偶々路面電車が車と衝突。

 『欲望という名の電車』(小説&映画)で有名。

















 ジャズ発祥の地ニューオリンズ
 デキシーの殿堂プリザベイションホール
 とは言っても、5、60人で満杯。

















 ロックのバーも一杯あるでよ。


 他にも多数の路上ミュージシャン
 フレンチクォーターは音楽で溢れている。





 (ニューオリンズは2005年8月ハリケーンカトリーナで壊滅的打撃を受けたが復興している)









 バイユーステートルイジアナ
 (沼地の州ルイジアナ)

 沼地ツアーがありワニ等の野生動物が見られる。
 ミシシッピー川河口の州ルイジアナの南部は沼地が多い。



 ルイジアナは元々フランスの植民地でカナダ国境にまで及ぶ広大な地域だった。1803年故あってアメリカに買収された。アメリカ人なら誰でも知っているルイジアナ・パーチャス










 昔のプランテーションハウスが観光目的で公開されている。
 奴隷を使ったサトウキビ農園で巨富を築いた。



 1992年10月州都バトンルージュで服部君事件が起きた。ハロウィーンのコスチュームを着た留学生服部君が不審者に間違われて射殺された、日本では有り得ない事件だった。(合掌)
 在ニューオリンズ日本総領事館は事後対応に忙殺されていた。













 アルマジロ等野生動物が車にはねられていたりする。



















 ミシシッピー川に架かるサンシャインブリッジ
 ニューオリンズ諸港は河川港でこの下を外洋巨大本船が通る。



 ルイジアナ州歌はかの有名な『ユーアーマイサンシャイン』で、後に知事になったジミー・デイビスが作曲した。彼は当社の設立10周年イベントに現知事共々来てくれて、ご老体ながらこの歌をギター独唱した。皆 感動した。














 英語研修ホームステイで世話になったMoore家族と我が家族の交流。



















 Barryの兄さん家族とも再会。


















 同じく、StevenとSharonがニューオリンズに訪ねて来たので案内して交友を深める。


















 Steven(Madison Wisconsin)を訪問して大学対抗アメフトを見物。



















 日本から親友が来訪。

 彼等のニューオリンズ到着日に空港で出迎えて、そのままフレンチクォーターを案内していたら、夜、荷物ごと車を盗まれてしまった。
 警察への届け出、航空券の再発行、保険申請等の事後収拾が大変なことになってしまった。
 失意の内にもグランドキャニオン等の西部を旅行した。
 二人は「アメリカは泥棒も大胆だな」、と呑気なことを言っていたので救われた。













 グランドキャニオンは家族旅行やミッションの案内などで6,7回は行った。

















 ニューオリンズから隣国メキシコは近い。
 ← テオティワカンのピラミッド。
 ピラミッドはエジプトの専売特許ではなかった。
  2000年位前に造られたらしい。

 遠足に来ていた女子学生が私が日本人だと知ると、「写真を撮ろう」と言ってきた。気安い子達だ。
 シャイな私が女子学生に声をかけることはないが、同じモンゴロイドの血が流れている子もいる気がするので違和感は少ない。メキシコは親日国だな。













 post card
















 テオティワカンへ行くハイウェイ脇でタコスを売る夫婦。

 メキシコシティーでレンタカーを借りたが、メキシカンは運転が荒く肝を冷やした。彼等は運動神経がいいのだろう。だからサッカーやボクシングが強い。
















 私の大好物コーントルティーヤのビーフタコス。
 これにシラントロ(パクチー)を添えるとなおイイ。

















 こちらはユカタン半島チチニッツアのピラミッド。
 美しい。

 階段の角度が急で、上りはいいが下りは恐怖だった。
















 古代に天文台もあった。
 マヤ人は天体観測が得意だった。

















 世界的ビーチリゾート カンクン

 カンクンの南にも海に面した遺跡がある。
















 テキサスのエルパソからリオグランデを橋で渡るとそこはメキシコのファレス市。簡単に越境できるが、アメリカに戻る時はパスポートのチェックが厳格だった。

 ファレスで滝のような雷雨に見舞われ道路が冠水してしまった。
















 レストランも冠水。

 でも大河リオグランデは何ともなかった。















 ナイアガラの滝(カナダ側)


















 ワシントンモニュメント
 初代大統領ワシントンの記念塔
 高さ 169m
 ワシントン DC には記念碑や記念館、博物館等々見どころが一杯ある。






























 スミソニアン宇宙航空博物館のゼロ戦



















 平原州の中西部では昔の馬車が走っていたりする。(観光用?)
 アーミッシュと呼ばれるキリスト教の人たちは今でも車等文明機器を拒絶する。
 アーミッシュは『Witness』(目撃者)の映画に出てくる。















 メンフィス(テネシー州)にあるグレースランドはエルビス・プレスリーが住んでいた家で、彼の博物 館になっている。
 ← 彼と両親のお墓がある。
 彼の愛車はもとより大きな自家用機まで展示されている。



 2006年、プレスリーの大フアンを自認する小泉首相がブッシュ大統領にここを案内されて、突然エアギターと大声でプレスリーの歌を歌い出した。そのことがニュースになった。ブッシュ夫妻がどう反応したらよいのか戸惑い、苦笑していたTV場面が思い出される。ハハハ














 戦艦アラバマ公園(モービル、アラバマ州)
 戦車、ファントム、B52 等々が展示されている。

















 グランドティートン国立公園(ワイオミング州)
 ロッキー山脈の絶景。
 
 夏休み、ミニバン(ドッジキャラバン)でどこまでもドライブする。
 若かったあの頃、あちこち観光しながら11日間で 4,500 マイル(7,200km)走ったことがある。
  アメリカのハイウェイは空いているから運転し易い。それに無料だし。





















 ドッジキャラバン この車は主に家内用だったが、日常や旅行に多用し4年で10万マイル(16万 km)走った。
 3列7人乗りのミニバンの先がけで便利で快適なファミリーカーだった。

















 イエローストーン(アイダホ州、モンタナ州、ワイオミング州)
 世界最初の国立公園。
 後ろは間欠泉。
















 野生のバッファロー、トナカイ、ヘラジカ、コヨーテ、グリズリー等々が見られる。
 オオカミもいるらしい。


















 デビルスタワー(ワイオミング州)
 地下のマグマが固まったものが浸食により地表に表れたもの。
 響岩質斑岩の柱状節理という。
 麓からの高さ386m
 ロッククライマーが何人か挑戦していた。














 マウントラシュモア(サウスダコタ州)
 岩山に4人の大統領の顔が刻まれている。















 カナダ コロンビア氷原から流れるアサバスカ氷河
 バンフから近い。
 1992年行った時にはもう氷河が解けて年々後退していることが問題になっていた。
 アクセスがいいので氷上車で氷河ツアーもできる。















 ハロウィーンの訪問者
 Trick or treat. と言って子供が近所の家々を回る。
 うちの娘は小 4 の時、学校のハロウィーン仮装大会で優勝した。(勿論現地校)
 現地校では外国人向けの ESL コースもあって、子供の英語の上達は早い。
 ニューオリンズには、日本人学校は大学の教室を借りて土曜日 3 時間だけ国語(日本語)と算数をやる補習校しかない。先生は素人で父母だったりする。














 Can I take your photo?
 Sure.  

 キャンディーを上げると喜んで帰って行く。















 モニュメントバレー(ユタ州、アリゾナ州)
 日本には決して有り得ない荒野の奇観が続く。

















 昔、日産のコマーシャルにも出てきたドライブしてみたくなる景色。
 3 回も行ったが、また行きたくなる場所。
 でも我が家族はこういう不毛の荒野の奇景に興味はなく、ラスベガスが大好きらしい。苦笑
















 広大な荒野でインディアン居留区になっている。


















 インディアンの少女
 インディアン居留区だからインディアンのみやげ物露店でインディアン人形を買って、店の少女を撮ろう としたら、母親からチップ 1 ドルを要求された。
 みやげ物を買ったのに・・
 この子はやはりどこかモンゴロイド(東洋人)っぽい。















 メキシカンハット モニュメント
 看板に従いハイウェイを外れダート道を走って辿り着く。
 ユタは、緑豊かな日本には有り得ないこういう奇岩の多い荒野の景色ばかりだから好きだ。
















 アーチーズ国立公園(ユタ州)
 砂岩でできたアーチや奇岩があちらこちらにある。
 ← デリケートアーチ ここへ行くには岩山を片道 1 時間半程歩く。
















 post card



















 バランスロック






















 グレートソルトレーク(ユタ州)
 塩分濃度が濃いためアミ類しか生息していない。
 塩水浴ができるが湖水までの浜が長く、その間所々にアミ類の死がいが堆積していて悪臭が漂い、それにハ エが群がり異様な光景だった。
 周りは砂漠で、流れ出る川がないので、大雨が続くと湖が大きく広がりニュースになる。















 ホワイトサンズ(ニューメキシコ州)
 真っ白の砂の大地。真夏の炎天下サングラスがないと目をやられる。
 近くには世界最初の原爆実験をしたという荒野のモニュメント(ロスアラモス)があった。日本人にはおぞ ましく写真を撮る気が起らなかった。
















 メテオクレーター(アリゾナ州)
 5 万年前の隕石衝突跡が、荒野だからこそ浸食少なく残されている。

















 post card



















 4 コーナーズ  
 ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、コロラド各州が一点で接するポイント。
 荒野の真っただ中だが観光地になっている。  皆ここで四つん這いになったり、手の平で押さえて、4 州同時滞在の写真を撮る。
 You look a sumo wrestler!












 これは長嶋茂雄さんのサイン色紙

 1990年のアメリカンフットボール(NFL)優勝決定戦がニューオリンズのスーパードームで行われた。日本から長嶋さんがTV中継に来て日本食レストランShogun(将軍)で食事をした。レストランの日本人女性オーナーが色紙にサインを貰った。それがどういう訳か私の妻のところに回って来た。
 将来的に価値が出ないだろうか? 笑


































 ブエノスアイレスの華麗なアルゼンチンタンゴ

 アルゼンチンは大農業国で穀物の輸出大国。  
 日本から大豆調査で顧客を案内した。
 














 アルゼンチンの農協関係者と雑談していた時、私がオスカー・ボナベナの話をした。 すると彼らは「オスカー・ボナベナを覚えているのですか!」と大いに感激した。
 アルゼンチンの英雄、ヘビー級のボクサーで、私の好きなフレージャーやアリとも戦ったことがある。 とにかくラッシュするのでニックネームは白い猛牛だった。ラスベガスで銃撃事件に巻込まれ 33 才で他界した (1976 年)。

















 アルゼンチンにはゴルフ場は非常に少ない。  
 ゴルフ発祥の英国とはフォークランド戦争もしたし、仲がよくないからだろう。
 でも、客人の要望がありゴルフ。テヘヘ

















 リオ、コルコバードの丘の巨大キリスト像
 
 ブラジルへも行って大豆調査。
 ブラジルの大豆栽培は日本人移民が始めたらしい。





































 コルコバードの丘からリオ市街
 美しい街リオデジャネイロ。ポルトガル語で「1 月の川」 という意味。名前までも詩的で美しい。 こんな景色の凄い都市は観たことがない。
 真ん中の岩山はパンデアスーカル(「砂糖パン」の意)。ゴンドラで頂上まで行ける。
 その前がイパネマビーチ。
 右の丘のむこうにはコパカバーナビーチがある。
 T バックの水着美女が一杯いるからサングラスを掛けて行ったほうがいい。笑
 でも、リオの治安は相当に悪い。 一流ホテルのロビーで我々を迎えてくれた現地駐在の日本人がカバンを僅かの隙に盗まれてしまっ た。











 バーでサンバ鑑賞
 リオのカーニバルの気分がチョット味わえる。

















 イグアスの滝
 アルゼンチンとブラジルの国境にある。

















 滝のしぶきで綺麗な虹が出ていた。



 アルゼンチンではアサド、ブラジルではシュラスコの名物ステーキを堪能した。












以下赴任中の海外事務所レポート
4年間で数回寄稿した内の一つ。
このテーマはルイジアナ生活だが、仕事上も生活上も人生の糧となる貴重な経験をさせてもらった。
この時、6年後に再度赴任するとは夢にも思わなかった。













 1993年帰任した。
 帰国後、子供たちに「アメリカに行って良かったか?」と尋ねたところ、二人とも「良くもあり、悪くもあり」とのこと。
 貴重な経験になったはずだが・・・

 そして1999年、私は6年振りに再度ニューオリンズに赴任。
 ニューヨークやロスのような大都会には、何回も赴任する日本人はいるだろうが、
 ニューオリンズに2回も赴任する日本人は私が初めてだろう。(名誉?or 不名誉?(笑))

 チャリティーサイクリング大会
 毎年会社としてサイクリング同好者が参加している。参加者は 1 人$200 以上の寄付を集めることが条件。 当社は計$7 千以上を集め大会当局から表彰された。
 往復 150 マイル(240km)、中部ルイジアナのヒリーなコースを 2 日間で走る。基本的にレースではないが、 皆飛ばす。
 私はこの年、マウンテンバイクしか持っていなかったのでそれで初参加し、往復 14 時間かかりヘトヘトに なった。「マウンテンバイクでも参加する人はいるよ」とのアメリカ人社長(右端)の言葉を真に受けたの だが、マウンテンバイクで参加するバカは少なかった。笑

 次の年はロードバイクで参加して 10 時間だった。順位を大幅に改善した(上位 20%には入った)。 総参加者 2 千人位だったかな。















 私の家
 勿論アメリカ子会社の所有。
 アメリカの住宅事情は素晴らしい。

 フロントヤードは見せる庭。 物は置かない。















 バックヤード
 BBQをしたりして楽しむ庭。

















 ニューオリンズ日本人会
 時々持ち回りでホームパーティーをやる。
 ゴルフは頻繁にやる。
















 ポルシェボクスター
 日本総領事館副領事の車。(公用車ではない)

















 私は1999年11月5日、ニューヨークで行われた在米日本大使館主催の『日米経済検討フォーラム』に在ニューオリンズ総領事館の要請で出席した。
 これはアメリカに来ている官と民の情報交換会。

 フォーラムの議事録は”出席者限り”だが、四半世紀近く経ったので名簿位はここに載せてもOKだろう。後に著名になる外交官のそうそうたる顔ぶれである。

 当時農業分野では、アメリカで開発された遺伝子組換作物が世界的トピックであり、私の場合はそれの日本への輸出についてこのフォーラムで私見を述べた。
































 着任後間もなかった外務次官経験者の在米大使は、田中真紀子外相とバトルを展開したことで名を馳せた大物大使だった。





































 その大使がワシントン着任後初の訪問先がニューオリンズだった。
 地元のアメリカ人・日本人の経済関係者に呼びかけて大使講演会が開催された。
 大使の父君も外交官で、南米の大使として一家で赴任していたところ、太平洋戦争が勃発した。一家で帰任する時にニューオリンズを経由することにならざるを得なかったが、敵国であったアメリカから悪意のないもてなしを受け子供ながら感動した、という感動の話をした。



































 ハンドガン
 日本からの訪問者で興味ある人が多いので、アメリカ人の友人から借りたクラッシックなピストル。
 ピストルは K-mart のようなスーパーでも売っている。
 でも、家内が来て夫婦喧嘩になって撃たれても敵わないので自分で買って所有はしない。爆














 人のいない私有地へ行って射撃練習。
 ここでは自動小銃も撃てる。

















 ゴルフ場でワニに遭遇
 ニューオリンズでは時々ある。
 カメラを持っているとツーショットが撮れる場合があるが、近づき過ぎると危険だ。

















 夜明け前、メキシコ湾への釣りに出発。
 太陽が登りかけるとイルカが数頭ついてきた。


















 ミシシッピー河口からボートで2時間程メキシコ湾沖に出ると、巨大なオイルリグがあり、その辺りが恰 好の釣り場となっている。
  初心者関係無く入れ食い状態でブリが釣れた。マグロやカツオも釣れる。
 ← 遠くにオイルリグが見える。
 アメリカ人はフィッシングを楽しみはするが、魚はあまり好きではないようで家にあまり持帰らない。















 会社の同僚の息子が格闘の末、バラクーダを釣り上げた。
 さすがにこれは喝采だった。

















 ワイキキビーチ
 日本の親組織の意向で株主総会、取締役会をハワイでやったりした。

















 ワイキキのサンセットは格別。


















 パールハーバーを見学
 撃沈された戦艦アリゾナの残骸。

















 日本の魚雷が展示されていた。
 これが人間魚雷回天だ。

















 モアブ マウンテンバイクコース(ユタ州)
 大 2 になったサイクリング部の息子が夏休みアメリカに遊びに来たので、岩山の難度の高いコースに挑戦 した。
 行ってみるとこのコース俺には難度高過ぎ。
















 この岩山で転んだらお終いだ。








































 荒野の人造湖 Lake Powell



















 世界中のゴルファーが一生に一度はプレーしてみたいというペブルビーチゴルフリンクス。(カリフォルニ ア州)
 ここでゴルフしてみたかったが、サンフランシスコからモントレー、カーメルへのドライブのついでに寄っ ただけ。 ショップでお土産を買っただけ。

















 風光明媚なモントレーベイのゴルフ場


















 ← post card
 アメリカはゴルフが安くプレーできるとは言え、ここでビジターがプレーしたら(できたら)$600 らしい。


















 カリブクルーズ
 ニューオリンズやフロリダ、バハマ諸港からカリブクルーズ船が出ている。 日本で考える程は高くはない。 紺碧の海に浮かぶカリブの島々を回ってハイキングしたりツアーに参加したりする。 夜は船でショータイム。カジノもある。
 この Carnival Destiny は当時世界最大の客船だった(総トン数 101 千)。 船には何とヌーディストデッキがあって、行くには全裸にならないといけない。自信がないので止めた。笑
















 ベビーブーマーがリタイヤしたら、クルーズ船会社は儲かるだろうと思って、この会社の株 を買った。 そしたら翌年 9.11 事件が起こってこの会社の株は三分の一にまで暴落した。結局戻り売りまで 2 年かかっ た。マア倒産しないだけ良かったが。
 昨今のコロナ禍でまた下落していることだろう。

















 英国出張
 大英博物館にある世界史で有名なロゼッタストーン。古代エジプトの絵文字(ヒエログリフ)解読の元となった。これがロゼッタストーンと思うと感動ものだが、手で触れることに驚いた。
 博物館は大英帝国が植民地時代に世界から略奪したもので溢れていた。

















 バッキンガム宮殿



















 衛兵交代式になると観光客がドッと集まる。



















 アメリカからヨーロッパへは航空券が安い。 ということでサンクスギビング休暇の週にヨーロッパ旅行。
 先ずはパリ。

















 ルーブル美術館もこの時期は人が少なかった。 ミロのビーナスにも殆んど誰もいない。


















 モナリザにさえもチラホラしかいない。 ラッキーやな。日頃の行いがいいからか?

 当時は写真はOKだった。
















 圧倒されるサモトラケのニケ像








































 コンコルド広場
 この時期大観覧車があった。
 オベリスクはエジプトルクソール神殿の一対の一方を移設した。
 何年か後に、仕事を変えてもう一方のオベリスクをルクソールで観ることになるとは、この時は夢にも思わなかった。



 ここでマリー・アントワネット達がギロチンにかけられた、と思うと感慨深い。












 次に夜行寝台列車でローマへ
 トレビの泉 ここも思いの外空いていた。 隣にいたstrangerとツーショット。

















 ローマから鉄道でナポリ経由ポンペイ遺跡へ
 後ろがポンペイに悲劇をもたらしたベスビオス火山。
 「ナポリを見てから死ね」という諺があるほど訪れる価値のあるという街ナポリは今回は素通り。死ぬまで にゆっくり来てみよう。
















 ソレントへのバスツアーで一緒だったオジサンと。 ソレントはナポリ民謡(カンツオーネ)『帰れソレントへ』で知られる、ナポリの南の風光明媚な街。
 ソレントからアマルフィへは傾斜のきつい陸地にブドウ畑やカラフルな家々が並ぶ世界一と言われる絶景海岸線が続く。

















 ホットスプリングス国立公園(アーカンソー州)
 ルイジアナの北隣のアーカンソーには温泉が湧いていて国立公園になっている。 でも、いくら探しても日本のような大浴場のホテルはないようだった。 バスハウスと呼ばれる施設で1人用のバスタブと1人用のスチームバスに浴す。 マッサージは屈強のアメリカ人男で、返って肩凝りがした。(;_;)

















 同僚のクリスマスホームパーティーに招待された。
 バイユー(沼地)をクルーズ。 趣味でボートを持つ人は多い。

















 気心の知れた Cajun の気さくな夫婦と。


















 ミセス達と
 今回、私のオハコ赤飯を持って来なかったことが悔やまれた。

















 プレゼント抽選会、 これは要らんわ。


















 こちらは会社での私の離任時の送別会
 女性社員と”Say cheese!”





















 アメリカ在住7年間に車で走った足跡(赤印)
 青〇がニューオリンズ
















 The End





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