”晴耕雨読”ぶどう園

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2016年趣味のトピックス(7〜12月)

記載が新しいものほど上になります。

花園


12/27 第96回全国高校ラグビー大会観戦
日川のキャプテンが選手宣誓のクジを当てたので開会式から見物。
大役を立派に果たした。



















ところが同日、一回戦の光泉(滋賀県)に3-39の大差負け。
ディフェンスは意外にも簡単に破られ、バックスはミスを重ねノートライ。
5年前にもここに一回戦で負けている。

一句ひねると
「初戦負け 寒波身に沁む 帰り道」

部員は厳しい練習に耐え頑張ってきたのだろう。
毎年花園で応援できることに感謝して、来年の捲土重来に期待しよう。














コンテナハウス


12/中 コンテナハウスを実家所有の空地に設置。
これを3か月間物置として使用する。
というのは、この空地にブドウ作業場を建てるため。
ブドウ園が成園となり、アパートの6畳間では最早作業が難しくなったので作業場を新築するもの。




















先ず、オートバイ3台を搬入。
























コンテナハウスのドアが狭くオートバイのハンドルが入らないので鉄パイプに付替え。






















3台がうまく納まった。
そしてオートバイ用品多数も搬入。





















価値の高いクラシックバイクが外から丸見え。
不用心だな。





















カバーを被せて、窓にはカーテンを張った。
勿論、在庫のブドウ出荷箱とかも多数搬入。

ついでに住居も引越し。
笛吹市石和・春日居地区に温泉付中古マンションを購入した。(別宅として丁度いい)



「趣味オッサン バイクを一番 可愛がり」 (^^♪















日米社会保障協定

2005年発効の日米社会保障協定なるものがあって、相手国で働き相手国の公的年金保険料を支払った者は、支払い期間が両国で通算され、相手国の受給資格加入期間を満たせば、相手国の年金も受給できる。
これにより、米国(受給資格加入期間10年)で7年間働いた私は米国の公的年金(Social Security Benefit)受給年齢(66才)に達したので申請したところ、米国大使館から電話インタビューを受け、そのサマリーが送られてきた。(写真)
それによると、4か月以内に決定通知書が送られ、半年以内に支給開始になる。
米国に滞在した配偶者にも別途支給されるらしい。

自己責任の国アメリカでは、年金は個人年金401Kプラン(外国人は加入できない)が主流で、SSBは額的に大したことはないのだが貰えるものは嬉しい。テヘヘ













乙女高原草刈りボランティア


11/23 第17回乙女高原草刈りボランティア
山梨市北部にある標高1700mの乙女高原の植生を守る活動で、私は2回目の参加。


















この時期ススキに覆われてしまった草原の貴重な高山草花の来シーズンの活性化が図れる。



















刈った草は先ず高原周遊路の土壌流出防止のため敷かれ、残りは高原外へトラックで搬出される。



















鹿等野生獣の食害が近年深刻なので、昨年草原外周にフェンスが設けられた。
このため「食害からの回復が進んだ」との説明があった。


















サッパリした高原で記念撮影。
県内外から260名程のボランティアが参加した。

私が草刈り作業をしている時、たまたまNHKからインタビューを受け、ローカルニュースで放映された。
それを見た友人から「いいボランティア活動をしてるなー」、とのお褒めの電話・メールをいくつか頂いた。(テヘヘ、それ程でもあるだヨ)
















51年後の修学旅行


11/20,21 中学校のクラス会で日光へバス旅行。
51年前に修学旅行で来た旅館に宿泊。
6人の物故者(先生2,生徒4)の遺影も持参した。

私の場合旅館名は勿論忘れていたが、キッチリ覚えている奇特者が幹事をして今回の旅行を実現させた。















旅館の庭先には野生のシカが歓迎のお出まし。
東照宮直ぐそばのこの辺りでは既に紅葉は終わっていた。






















2日目はいろは坂を登って中禅寺湖(標高1269m)へ。

明智平からロープウェイで展望台(写真、1380m)
湖ではボートクルーズ。
湖上は寒かったが遠足の小学生は元気だった。

51年間に私はオートバイで来たり、職場旅行で来たり、2,3回は来ている。













華厳の滝はヤッパリ壮観だ。

実は私は今回の旅に気乗りはしなかったのだが、昔の級友とのノスタルジックな旅、大いに楽しかった。












































旧車


日常の範囲で最近見かけた旧車達。
思わず写真を撮ってしまう。

これは近所のハーレーカスタムショップに置いてあった。
典型的なクラシックアメ車。
もはやビンテージか?
サンバイザーとリアタイヤカバーがイイ雰囲気を出している。
レストアするのだろうか?












同じく、シボレーのピックアップトラックとフェアレディーZ(1969年から製造された)



















これもそれぞれの年代の典型的アメ車。
無駄?に大きいサイズがイイ。


















フェアレディーZ(おそらく1989年辺りの製造)



















コロナバン
「1963年製だよ」とオーナーが言っていた。


















マツダキャロル(1960年代前半製)
道端に展示?されている。


















農家の庭で朽ちかかりのキャロル。
軽で初の4ドア。
味があるからスクラップに出せない?

















極めて程度のいいスバル360(1960年代)
つい見とれてしまう。
昔の軽は白ナンバーだった。

















こちらも程度のいいダイハツミゼット(1957年から製造された)





















こちらは朽ちかかり初期。



















屋根下に保管されている4代目サニークーペ(1997年〜)と何代目かのトヨタパブリカ(1969年〜)。



















旧車ではないが可愛らしい軽ワンボックスカスタム。



















車種は違うが上と同じデザイン。



















正体不明のレーシングカー
結構完成されたフォルムをしている。





















ヨーロピアンクラシック然としたBMWのカフェレーサー
ゴーグルがよく似あっている。
オシャレなオーナーだな。(俺と違って)

















旧車ではないがアケビ
懐かしい味。


















秋の味覚サンマ
折角おこす炭が勿体無いので5匹買ってきたが、1人で一度に食べるのは無理だった。


















今年も僅かながら枯露柿作り。




















柚子マーマレード


11/12 実家の柚子が豊作なのでもらって、柚子マーマレードを作る。
3年振り3回目。


















作り方は再度ネットで調べる。
先ずきれに水洗する。


















柚子をスライスして種を除き、グラニュー糖を柚子の半分量入れる。
種のゆで汁にペクチンが出てくるのでそれも加える。
圧力釜で煮る。(勿論圧力釜でなくてもOK)

















今回も美味しくできた。
各種タッパーに入れて出来上がり。

当分、トーストにはバターとこれだな。

















ツーリング


11/6 静岡方面へのツーリングのため南アルプス市のコンビニに集合。
何十年振りかのマスツーリングに参加。
W1SのYさんから今まで何回も誘われていたが、都合もつきやっと実現した。
ハーレー、ヤマハ、カワサキ2台の計4台。
絶好のバイク日和だ。














途中の道の駅で休憩。
キャンディーグリーンのヤマハXS650、音はいいしカッコもいい。
















目的地由比町でランチ。
観光客が長蛇の列で、1時間10分待たされた。

ここでは私が最年長のようだ。
だから私は走りが遅い(~_~;)















取れたて桜エビづくしの定食、美味かった。



















国道1号に面したこの食堂にはモーターサイクリストの訪問者も多い。



















帰路、身延駅前で休憩。
富士川が横を流れている。



本日のツーリング: 239km、7時間、エンスト2回
心臓手術後こんなに長く走ったのは初めて、気分爽快。
行きかうオートバイが多かった。
マスツーリング、サイコウ!(矢沢永吉風に)












高校同窓会


11/3 高校同窓会に出席
今夏リオ五輪ウエイトリフティング62kgに出場した同窓生中山陽介選手から報告があった。12位。
彼の夢舞台は、「記録は自己ベストから遠く、気が付いたら終わっていた」、と言っていた。
それはそれで貴重なレポートだった。
















同窓生でオリンピック出場は3人目だろう。
レスリング鶴田友美(ジャンボ鶴田、同級生)、ウエイトリフティング今村俊雄。
メダリストは未だいない。

→その後学校関係者に確認したところ、オリンピック出場者はもう一人いたことが判明、バトミントン松野修二。
















山梨県らしく風林火山が。

























今年出席の同級生は7人と少ない。




















川西・池田散歩


10/29 散歩日和につき川西(兵庫県)→池田(大阪府)散歩に出発。



















本宅から7km程歩くと阪急川西能勢口駅。
駅前ビルでは菊花展をやっていた。


















こちらには盆栽も。



















阪急デパート川西店食料売場を覗くと、シャインマスカットとピオーネが売られていた。
化粧箱入り(おそらく『特秀』)とはいえ値段を見てタマゲタ!!


















化粧箱入りでないものも高いやんけ!
それでも結構売れているようや。
農家は小売店を儲けさせるためにあるんやな。(ヒガミ)

















府県境には猪名川が流れている。左が川西市、右が池田市。
正面は五月山(池田市)。


















池田市に入ると早速芝居小屋『呉服座』がある。
今度芝居見てみよう。


















大阪落語の博物館『落語ミュージアム』
館長は市内在住の桂文枝だとか。


















五月山の麓には『小林一三記念館
山梨県韮崎の出身で阪急の創始者。


















こちらは『逸翁美術館
小林一三が集収した美術品を展示している。
日本画家が殆んどだが、ピカソの『闘牛』コンテもある。
入館するとタイミングよく解説ツアーに参加できた。
















五月山中腹の池田城跡公園
織田信長を裏切った荒木村重が関係する。


















池田城跡公園から、六甲山に沈む夕日。



本日の散歩: 約16km、気持ちえかった。
















フルーツライン


フルーツラインで唯一工事中だった山梨市部分が今夏開通し、全線通れるようになった。
10/21遅まきながら初ツーリング。
山梨市の八幡地区と牧丘地区が山を超えて継がり便利になった。

フルーツラインとは言っても広域農道であるから山の部分の交通は極めて少ない。

未開通時の写真













標高の高い牧丘地区にはリンゴ園もある。
フルーツライン沿いでは観光農園を開園する農家もいる。
『グリーンツーリズム(観光農業)』にインセンティブを与えることもフルーツラインの目的であるのだろう。


















 展望のよいロードサイドもあり、富士山が見える。
 写真では逆光だが、順光の冬の朝に来たら最高だろう。


シリア同期会in倉敷


10/14,15シリア同期会in倉敷に出席のため、新幹線車中から姫路城をパチリ。




















大阪在勤時、倉敷は何回も来ているし、2年半程前に長男一家(孫達)と来たばかり。
美観地区の雰囲気がいい。


















久し振りに大原美術館に入館。(40年振り位)
洋の東西の有名作品が結構ある。


















館内は撮影禁止なので絵葉書を購入。






















美観地区ではシャインマスカットを売っていた。
\2,800/房、\300/10粒と可也ベラボウ。


















宿泊は雰囲気最高のアイビースクエア。
予約は1年前でないと難しいらしい。


















和風フレンチの懇親会では食い過ぎ、飲み過ぎ。(´・_・`)
















10/15はマイクロバスで近郊巡り。
私はダマスカスで買ったTシャツを着用。
このアラビア語を読めた人が1人いた、流石シリア在住経験者。

















岡山のブドウは雨除けハウス(横はオープンで温室ではない)栽培が多いようだ。
(バス車中から)


















旧山陽道にある矢掛本陣
参勤交代の大名一行を始め役人等が宿泊した。
保存状態が良く国重文に指定されている。

















殿様が泊まった上段の間。



















寄贈された犬養毅の書。



















平櫛田中(ヒラグシデンチュウ)の作品を展示する田中美術館(井原市)では棟方志功展をやっていた。
(内部撮影禁止)

楽しい会だった。
同期会とは言っても私の若さは図抜けている、テヘヘ(*^_^*)。
幹事様、皆様ありがとうございました。















ゴルフウィーク


10/4 日川高校同期卒ゴルフコンペ。
いつもより少ない27名が参加。
いつもご参加の上野敦男先生と初めてラウンドさせて頂いた。
先生は母校ラグビー部を全国上位レベルに導いた名監督。
我々より20上86才の先生は「100以上叩いたことはない」と言っておられた。
それに引き換え私はまたしても100切れず。(ヘタスギ)

















境川CCから甲斐駒ヶ岳(中央)






















10/6 大学時代の友人とゴルフ。
勝沼GCから甲斐駒ヶ岳(中央)
易しいと評判のこのコースではやっと100が切れた。(^O^)




















記念撮影
翌日は我が園でブドウ狩り。






















ユーザー車検


10/3 過日ネットで予約しておいたバイクのユーザー車検を受けに石和にある山梨運輸支局に到着。
生憎の雨だから自走を止めて軽トラで持込みした。
ネットで体験談を読み、疑問点は甲府のW1Sオーナーで経験者のYさんに聞いてクリアになってはいるものの、初めてのユーザー車検は不安だらけだった。

先ず、継続車検申請書類の記入と税金・自賠責保険支払を隣のビルの代書屋(行政書士法人)さんに依頼した。(代書料1,200円)


















カスタムハーレーも業者により持ち込まれていた。
バイクをリアドアの下に置いて雨を避けている。
愛車精神が旺盛だな。




















受付予約時間の真っ先に窓口に書類提出。






















今日は車検受けが少ないようだ。
左から2番目の小さな入口が二輪自動車のレーン。
二輪午後の部のトップバッター。



















二輪レーンの内部の様子。

「初めてのユーザー車検です」、と謙虚に言って検査官の指示に従う。
ヘルメットを被っていたし、W1S排気音が内部に響き検査官の声がよく聞こえない。
後で確認したところ、「ヘルメットの着用はなくてもいい」とのこと。

ライト、ウインカー、前後ブレーキ、ブレーキランプ、スピードメーター、等々、検査官の指示により自分で操作しチェックしてもらう。
検査官は親切だし、不安はみるみる解消されていった。
不具合は指摘されなかったので、「合格かな」と期待が膨らむ。
レーン出口の窓口へバインダーに挟んだ書類一式を提出。
すると、「自賠責保険証がない」と言われた。
代書屋さんで貰ったハズなのに・・・
「落としたのでは?」と言われ、雨なのにマズイと思いながら方々探したら肩掛カバンの中にあった。(アホやん)

晴れて合格。(目出度しメデタシ)
これで前回と比べ約4万のセーブ、期待以上だ。
点検整備記録簿(必須24ヶ月定期点検)も用紙を買って、自分で点検・記入したのだからこのくらいはセーブしないとナ。
何しろ2年間でたった800kmしか走ってないし(”病み上がり”だった)、任意保険代もあるし・・・
でも私の場合、趣味のバイクだからやるユーザー車検であって、車では今後もやらないだろう。






武田家終焉の地


9/17 武田家終焉の地日川渓谷へツーリング。

先ず給油。
古いオートバイなので「ハイオクの方がいい」とマニアが言っていた。
















タイヤ空気圧もチェック。



















日川渓谷に近いJR甲斐大和駅(甲州市)の北側にある武田勝頼像。



















甲州街道を離れ日川渓谷沿いの県道を北上すると景徳院が。
武田勝頼の死を弔うため徳川家康が建立した。

天正十年(1582年)三月、武田勝頼は織田信長、徳川家康連合軍に攻め込まれ、この地で自害した。
勝頼の首は京都に運ばれ一条大路に晒された。

信長は甲府から富士山見物をしながら東海道を帰るが、僅か3ヶ月後には本能寺の変が起きる。












境内にある勝頼辞世の句碑。
「おぼろなる 月もほのかに 雲かすみ はれてゆくえの 西の山の端」

一緒に自刃した勝頼夫人(北条氏康娘、継室)の句
「黒髪の 乱れたる世ぞ はてしなき 思ひに消ゆる 露の玉の緒」

嫡男信勝(正室(織田信長養女)の子)の句
「あだに見よ 誰も嵐の さくら花 咲き散るほどの 春の夜の夢」












勝頼が自刃した生涯石。
北条夫人、信勝の生涯石もある。


















左から信勝墓、勝頼墓、北条夫人墓。
其々16才、37才、19才。


















景徳院下の日川の崖上にはレリーフ石碑がある。
これは北条夫人に付き添った北条侍女16人が身を投げた淵で姫が淵と呼ばれている所。

この辺りには武田最後の古戦場の碑も二三あり、悲惨な歴史を語っている。
古戦場、景徳院、姫が淵、等々、武田勝頼の最後がいかに哀れだったかがよく分かった。















日川渓谷の断崖上の県道には『土屋惣蔵片手千人切り』の碑がある。

武田家臣の土屋惣蔵が断崖上の細い一本道で、片手で蔦につかまり片手で織田方追っ手を千人切って川に落とした、とのこと。
このため川は三日間血に染まり三日血川と呼ばれた。
それでは余りに凄惨な名前なので、その後日川(にっかわ)と呼ばれるようになった。
との話を子供の頃、川沿いの親戚のお婆さんから聞いたことがある。














日川渓谷竜門峡。
景勝地ということで1時間程ハイキング。
紅葉の頃は綺麗だろう、今度ゆっくり来よう。

















天目山栖雲寺
勝頼は武田氏ゆかりのこの寺を目指していたが、織田軍に追い詰められた。


















この寺は蕎麦切発祥の地。



















寺院裏山には自然石でできた庭園がある。
上奥に行くと磨崖仏が掘られている巨石もある。


















日川渓谷の更に上流には日川ダム(標高1500m)がある。



















大菩薩湖(ダム湖)から大菩薩嶺(日本百名山、2057m、写真中央の雲がかかった山)が見える。
その右が大菩薩峠(1897m)。


















ダム上に可憐な花が咲いていた。



















更に上がっていくと上日川峠。
ここから正面の登山道を行くと1時間15分で大菩薩峠、更に1時間で大菩薩嶺へ行ける。(勿論歩いて)
土曜日だからハイカーが多い。
高校1年の夏、クラスでふもと(裂石)から登って山小屋に泊まった。
遥か東に東京タワーが見えて感動した記憶がある。

ここから反対側の裂石に下って帰宅。



本日のツーリング: 81km、6時間










冒険家講演会


8/18 高校同級生のバイク冒険家風間深志君の講演会に出席。
この講演会は地方銀行支店が地元大口顧客(貯金にしろ融資にしろ)対象に企画し、地元の同級生から誘いがあり出席したもの。
彼は昔、パリダカラリーに挑戦し、事故で大怪我を負い障害者となるも冒険心は衰えることなく挑戦を続けていることに感服した。

勿論私は当行の大口顧客ではないが、山梨で生活するに当って当行に口座を持たないと何もできないことに閉口した。
何しろ都市銀行の支店は県内皆無に等しい訳だから。

















何はともあれお誘いを受け面白い話を聞かせてもらった。
折角だから同級生でパチリ。
風間君に私が作ったブドウを土産に差入れた。





















清掃奉仕活動


8/6 酷暑の中、清掃奉仕活動に参加。
山梨県議高木晴雄君後援会の高校同級生他によるボランティア活動。
山梨市役所通りと市民会館周りを実施。
本人も勿論参加。

雑草まで除去。

















1時間半でこれだけのゴミ。






















その後、懇親BBQ会。
(於万力公園、会費制デス)

「乗るなら飲むな!」を徹底。




















安土城跡


8/3 安土城跡訪問。
ふもとにある案内所には安土城天主の7分の1模型がある。
織田信長は天守ではなく天主と呼んでいた、との解説。

天正7年(1579年)完成するも3年後、本能寺の変の混乱で焼失。















安土山(標高199m)の頂上に天主があった。

私は大阪在勤時代、労組の研修のついでに皆とここに来たような気がする。(40年程前)
当時は歴史に興味がなく、古い石垣だけが微かに記憶にあり、天主跡に行った記憶はない。
入場受付の人に聞いてみたら、「天主跡までを整備して入場料(700円)徴収し出したのは11年程前から」、とのこと。















大手道の左右には羽柴秀吉邸、前田利家邸があったと伝えられている。



















石垣の多くは当時のものが残っている。



















本能寺に倒れた織田信長の遺品を埋めて、羽柴秀吉が信長本廟(写真)を城内に作った。

ひぐらしの声がもの悲しい。
ここで一句
「ひぐらしが 無念奏でる 安土山」
我ながら秀逸だナ(笑)














ここが天主跡。
発掘で発見された礎石が残る。


















天主跡から北西に琵琶湖が見える。
当時は安土山の麓まで湖だったらしい。


















現在の安土城跡の多くは信長が城とともに建立した総見寺の寺領となっている。
重文(重要文化財)の三重塔。
安土城焼失時、寺は焼け残ったが、徳川時代の火災により本堂などは焼失。
三重の塔、二王門は残った。









































重文の二王門。



















二王門の金剛力士像も重文。
向って左


















向って右




















多賀大社


安土城跡から北東20kmの多賀大社に初お参り。
伊勢神宮祭神天照大神の親神のイザナギ、イザナミの大神を祭る、由緒ある霊験新たかな神社。


















丁度、万灯祭が今日(8/3)から3日間始まるところだった。



















石のそり橋
渡るのが難しい。


















『君が代』のさざれ石の由来があった。

同じような物を北陸の安宅の関で見た。
あちこちにあるようだ。
















万灯祭の準備万端。



















ライブ演奏の練習をやっていた。
意外にも現代風バンドだった。


















門前の屋台も祭りの準備が進む。




















長篠設楽原PA


7/25 本宅旅途上に新東名の長篠設楽原PAで一休み。
今年2月に開通・開始したこのPAは『長篠・設楽原の合戦』(1575年)に見事に迄拘っている。


















設楽原台地から更に見下ろす展望台がある。



















 詳細な解説図等で歴史を勉強できる。



PAの直ぐ横には織田信長本陣跡茶臼山があり簡単に登れる。



















信長の歌碑がある。
「きつねなく 声もうれしくきこゆなり 松風清く 茶臼山かね」


















PAにしては巨大だ。
バス旅行で立ち寄る来訪者を意識しているのだろう。


















当然のように馬防柵レプリカもある。

過去記事:設楽原

















お土産コーナーには産地の幟旗。



















屋台も凝っている。
(許可を得て撮影)


















武田の赤備え鎧と織田信長の南蛮赤マントと記念撮影ができる。



















食堂にまで馬防柵が。



















自販機には長篠合戦図。



















こちらの自販機は織田の桔梗紋と兜、徳川の葵紋、との凝り様。
何故武田菱の自販機がないの?(プンプン)
→上り車線のPAは武田に特化しているらしい。


















W1SAの怪


30数年前に中古で購入し、部品取りと部品ネットオークション販売により、フレーム(写真)とクラッチを残すのみとなったカワサキW1SA。
フレームは登録関係書類(車検証or廃車証明書)が伴うことにより価値を持つ。
このフレームを基に部品を集め組立て、オートバイとして再登録し使用するためには、元の登録関係書類が必須である。

















これが当該車検証。

『書付きフレーム』としてネットオークションに出すため、廃車後名義変更をすべく陸運事務所に手続きに行くと、「この車検証のバイク(フレーム番号)は別人が登録している、つまり車検証にある登録番号(ナンバープレート)は変遷を経て現在も使われている、従ってこの車検証による名義変更は不可」 と言われた。
なお、「この車検証は正規のものと認められるので、名義変更したければ、メーカーにフレーム番号の純正さを証明してもらわれたし、そうすればどちらのフレームが正規か判断できる」 とのこと。
メーカーに問い合わせたところ、「公的機関以外からの要請には応じられない」 と言われた。(ヤッパリな)
そこで7/16、車検証に記載住所の昔のオーナー(県南)を訪ね、ナンバープレートの経緯を尋ねた。
その人は「バイクはカワサキのショップにナンバープレートと共に販売したので、経緯は知らない」 との返答。
私はそのショップから購入した人(既に故人)から購入した。
そのショップは既に閉店しているので、これ以上の事実はもう分からない。
何故私が拘るかというと、『書付きフレーム』か否かは価値として10倍の差があるからだ。
事実を知った以上、『書付きフレーム』としてオークションに出すことは出来ない。









錆びて見難くなってはいるがこれが当該フレーム番号。

この厳格な日本で、フレーム番号の偽装が有り得るんだ。
”私以外”の誰かが不正をしている。(´・_・`)
陸運事務所は調べるべきではないのか!(プンプン)

しょうがない『書無しフレーム』でオークションに出そう。
チャンチャン!(お仕舞)

”社会派”の記事になってしまったな、というより”欲”の深さだな。(誰が?笑)











上高地


7/18 天気予報が「梅雨の晴れ間」だったので、朝3:30時出発で上高地へ。
7時、上高地へのシャトルバスが出る駐車場着。


















上高地への釜トンネル。
ここから一般車両は通行止め。
昔、一般車両が通れた時、バイクや車で来たことがある。
30数年前バイクで来た時は急坂の釜トンネルが渋滞していて難儀した。
(旧釜トンネルは狭くて交互一方通行で急勾配だった)















上高地バスターミナル(標高1,500m)に7:50到着。
ここから梓川上流の行ける所までハイキング往復。


















 日本アルプス最高景色(私の感想)の河童橋。
 日頃の行いが良いから快晴!
 早朝は観光客が少ない。



シャッターをお願いしてパチリ。



















穂高連峰と岳沢。



















南には焼岳(2,456m)



















河童橋から1時間上流の明神橋。
北に明神岳5峰(2,726m)


















なだらかなハイキング道が続く。



















明神岳と思われる鋭い岩峰群。



















明神橋から1時間の徳沢でソフトクリーム。
バスターミナルから6km程来た。
甘いものが美味しい。

















徳沢から20分の新村橋。



















新村橋から50分の横尾大橋。
バスターミナルからここまで11km、標高差115m、3時間10分(休み時間除く)。
ガイドブック通りのペース。
「槍ヶ岳へ11km」とある。

横尾大橋を渡って登山道を行くと、3時間で涸沢ヒュッテ、更に3時間10分で奥穂高岳(3,190m)に行ける。
いつか涸沢ヒュッテまでは行きたい。













横尾では持参したノンアルコールビール。
風が気持いいい。


















地図によると、横尾から蝶ヶ岳への登山道を30分登った所に槍ヶ岳が見える槍見台がある。
標高差200m程か。
行ってみよう。

今まではハイキング道だったが、ここからは急な登山道。
登山開始と同時に脈拍140になったので、ペースを落として120に。














 ガイドブック通り30分で槍見台に到着。
 「ヒャッホー」と叫びたくなる絶景。
 左は本谷カールか?



 双眼鏡で見ると、槍ヶ岳(3,180m)の頂上は僅かにフラットなことが分かる。



14:30時横尾から帰路を辿る。
倒木にモミの木?が根を下ろしていた。


















湿地帯では鴨の親子3組を見た。



















猿の群れも3組。
林の下草であるフキを食べていた。


















花にも興味あるでよ。
これはヤマホタルブクロ。


















こちらはフラッシュを焚いたので白く写ってはいるが、紫のソバナと思われる。



















上高地の花の看板で参照できる。



















16:30時、逆光の明神橋と明神岳5峰。



















明神橋からは右岸湿地の木道を辿る。



















夕刻(17:40時)の河童橋。
昼の喧騒は全く無い。


















駐車場へのシャトルバス最終は16:55時だったので、路線バス最終18:45に乗車。
独行の若い女性登山客が数人、「2泊3日で穂高連峰」、同じく「槍ヶ岳」と言っていた。
「最終日(今日)だけ天気に恵まれた」とのこと。
健脚かつ度胸ある女性達。



本日のハイキング&登山: 23km、標高差約320m、休憩を含み10時間
「疲れた、脚がイテーヨー」












身延山


7/15 花巻市で尺八のインストラクターをしている親友が来訪した。
週末と海の日の3連休に身延山久遠寺宿坊で開催される尺八の研修会に参加するため。
大学時代柔道部の同輩だが、趣味で始めた尺八を続け、退職後の人生でインストラクターとなったもの。

拙宅にて聴衆は一人(私)だがリサイタルを開き、ICレコーダーに録音させてもらった。(^-^)















翌日、歴史にも造詣の深い彼の所望により武田氏居館だった武田神社(甲府市)へ案内した。
私も戦国史には興味深い訳だが、武田神社は2回目だった。
武田氏累代の遺品展示館もあり、こちらは初めてでもあり行ってよかった。(感動した)

















同日、日蓮宗総本山身延山久遠寺へ車で送っていった。
私は身延山も高一の時のバス旅行以来50年振り2回目だった。
写真は巨大な山門。日本三大山門の一つとか。
(山門は三門とも言うらしい)
















山門から深山の階段の遥か上に本堂(写真)や五重塔等が鎮座する。
ここから更にロープウェイが山頂に伸びていて、富士山や駿河湾が望めるらしいが、今回私はここまで。




















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